どんな自分でもオモシロがる瞑想

ズルい自分、ドス黒い自分、情けない自分、弱っちぃ自分 どんなあなただとしても、オモシロッて思えちゃう!

グループ講座は好きではなかったんです。

グループ講座を受けてきました!

もともとは、グループ講座は好きではなかったんです。

 

 

だって間があくと、

待たせちゃってると感じて焦ってしまうし、

そうなると、アタフタして

ギャー恥ずかしいってなる

 

あと、

こんなこと言っても大丈夫かな、

間違ってたらどうしよう、

不安と恥ずかしいが混在して

黙ってしまう。

 

 

せっかく、講座うけてるのに

あーもったない!

 

 

でもでうすね。

今日のグループ講座は、

間があいても

話していてぐっちゃぐちゃになっても

落ち着くまで待ってくれる安心感があって

受講して良かったと思った。

 

なので、今回は

受け身から自発的に話せました!

 

 

そして、もう一つ良いなと思ったのは

自分の考え方、ものの見方が

他の受講者さんの話を聞いて

 

 

あっ!!思い込みだったな

あのときの、嫌だっていう気持ちを

未だに持ってるんだって

気づけたこと。

 

 

これは、私が話したことと

違う意見が出てね。

そこで気づかされたんです。

 

 

こういうのって良いなと嬉しい

 

きっと、このグループ講座が

安心して話せる雰囲気だったからだと思う。

 

 

その刺激を受けて

瞑想とグループで話すというのを

かけ合わせたら、気づきが増えるんじゃない

と考えてたらワクワクしちゃった。

日常に気づきをもって生活するのが理想。

日常に気づきをもって生活するのが理想。

けど、忘れて生活しちゃうときが多い:汗

 

 

それがダメなことだと思ってたんだよね。

だから、どうにか気づきを持たなきゃいかん

と足搔いていたけど、

 

 

今は、そこまでの感度がないだけで、

ダメだって思うことはないなって思う。

 

 

思考の癖で、グルングルンと考えてしまってるときに

あっ!!って気づけてるので

それで良いんじゃないって。

 

 

もうさぁ~

出来てないことに、目がいくのよね!

そこには敏感に反応しちゃう。

 

この反応しちゃうことがわかっただけでも違う。

 

前までは、反応しちゃうこと自体を

いけないことだと敵視してた。

でも全然、いけないことでもないのに

 

 

日常に、気づきをもつにはどうするか?

が私の課題というそれだけのこと。

 

 

それを含め毎日瞑想をしてる!

 

 

 

 

 

 

 

 

瞑想の時間が終わったら、 ハイ、終了?!

瞑想ってただ坐ってるだけではなく、

浮かんでくる思考、パターンに、

飲み込まれないようにするためのツール。

 

 

『観察する』『気づき』

このワードは瞑想してるとよく聞く言葉です。

 

 

観察するって、書いてみると

簡単そうに思えてしまうんだけど

やればやるほど、難しいんだよね。

 

 

ひとりで瞑想をしていると、

ふんわりと瞑想の時間だけを

やっていることがあるんですよ。

時間だけが過ぎ去っていくの。

 

 

でね、そのときに感じたことを

言葉にするのは大切なんじゃないかって

最近、感じているところ。

 

 

瞑想の時間が終わったら、

ハイ!終了。

 

だと、瞑想をなんでしているのかが

わからなくなっちゃうなと。

 

 

瞑想だけで終わるのと

瞑想後にその時間に感じたことを言葉にするのと

どういう違いがあるのか?

 

明日から、感じたことや浮かんできたことを

そのままノートに書いてみる!!

 

 

瞑想だけで終わるより

ノートに書いた方が

違う視点で見れることもあるかなと思ってる。

 

 

とにかく、やってみるよ!!

怒りの感情はパワーがある

褒められたいけど、

褒められると自信が薄れていくという

矛盾したような感覚があるんです。

 

 

もっと上手くやらないといけない!

と勝手にプレッシャーをかけちゃうんですよね。

 

 

これに全然気づいてなかったんだけど、

瞑想中に、ふと頭によぎったんです。

 

 

瞑想が終わったあとに、

そういえば褒められるより

 

馬鹿にされて

こん畜生!!負けない!!

はらわた煮えくりながら、

取り組んでたなぁ~と思い出した。

 

 

いつまでも馬鹿にされたら

もちろん、嫌なんだけど

エンジンがかかりやすかった。

 

 

私は、怒りが原動力になってるんだよね。

 

 

怒りの感情にまかせて、

すぐに行動するというより

 

今に見てろよ!!

ってやってた。

 

 

怒りの感情はパワーがあるんだよね。

その使い方を間違えると、

トラブルになることが多いんじゃないかな

 

 

まぁ、こんなことを書いているけども

全部が全部出来るわけなくて、

 

 

特に身近な家族には、

遠慮がなく、突っ込んでしまう。

 

 

なので、私は

あまりにも頭にくると、

物理的に距離を置くよ。

 

 

いくら瞑想をしていても、

そのときに怒りの感情を観察するチカラはないのです。

 

 

身体の内側からグワーッと

湧き上がってくる怒りは

感じとれるようにはなってきたので、

観察よりは離れたほうが、感情的にならずに

あとで、落ち着いて話せていますよ。

 

 

夢中になれるものを探さない

夢中になって頑張ることを

してこなかったなと

高校野球を見ながら思った

 

 

流されるままに生きてるな

 

 

なんで夢中になれないんだろうと

何かに夢中になれたら

どんなに人生が楽しいことかと

悩んだこともあったけれど

ずうっと、そこを悩んでも答えはなかった

 

 

寝食を惜しんで夢中になることは未だにないが

だからと言ってクスぶって縮こまっていない

 

 

あったら良いよね!

ぐらいにとどまってる

 

 

夢中になりたいからって

夢中になるものでもなく

湧き出てくるんだろうなと思っている

 

 

 

 

 

自分なんだけど自分じゃない

すっごく生きづらいと

感じることはなくて

 

 

自分の内側と外ヅラが

ズレてるんだよね 

 

言いたいことを

何でもかんでも言葉にすれば

いいとは思わないけど

 

 

グッとこらえて

それが当たり前になり

いつの間にか

私、どんな風思ってたかな?

 

 

嫌だと感じたことを

蓋してホントはどうだったか

わからくなってることがある

 

 

そのズレが

自分なんだけど自分じゃない感覚が

ずうっと纏わりついてる

 

 

自分のことを好きになることより

このズレをどうズレてるのかを

知りたいんだよ

 

 

そのままでも

生きていける

 

 

でも、命が終わるときに

後悔するよなぁーきっと!

 

 

仏教瞑想の先生に

一生かけてのヒーリングだよ

 

 

と言われて変に納得した

 

 

世俗の中にいる私には

刺激はたーくさんあるし

そんなもんだろうなってね

 

 

 

 

 

 

ムキになり過ぎ

感情や思考に気づこうと

ムキなり過ぎた!

 

感情に蓋してたことが

わかってから

また、それを感じたいと

思うばかりに

瞑想中、カッチコッチに

固まってしまっていた

 

 

効果を追い求めてはいけないと

注意されてんだけどねー

 

 

感情の蓋や思い込みを外すには?

瞑想は、気づきと観察を

感度を上げてくもの

 

 

だけど、ちょっと

今の私にはもう少し違う

アプローチも必要だと感じてる

 

良い子になろうとか

大人だからキチンとちゃんとが

抜けきれない!

 

 

ココが課題だなぁ

ひとりのときでもやってるもん

 

 

相当な癖が絡みまくってるんだろうね